前回のブログで、ライヴでのお酒の話を書きましたが、フィンランドではアルコール問題が多くみられます。
アルコール依存について、とてもリアルに描かれたこの曲は、ライヴで聴くと、さらに痛切に響きます。 Ismo Alanko Tehollaの1stアルバム「Blanco Spirituals」(2008)に収録されています。 なお、この曲は、カレリア地方の民謡「Konevitsan kirkonkellot」(コネヴィッツァ教会の鐘)のメロディーを引用しています。
iTunesでの購入はこちら
(参考)Konevitsan kirkonkellot Seitsemän päivää 7日間 1日目の晩 長い間飲んでいるうちに すぐに酔っ払い すべて覚えていない 宵の口の会話、小さな衝突 深い打ち明け、厳しい論争 注文したものを受け取るとき、気をつけろ 神か悪魔か、どちらが水をワインへ変えたのか? 2日目の朝は 俺の心を楽しませる感じがする 考えはじめる前に 俺は酒のコルクを抜く 俺は哲学的になる、とても聡明だ 言葉の剣がめった斬り バーの隅のテーブルで 注文したものを受け取るとき、気をつけろ 神か悪魔か、どちらが水をワインへ変えたのか? 3日目は すべてを奥深く変える たっぷりのひと飲みが 日常を洗い落として無意味にする 俺はまだすべてを片付けようとする ありふれたことすべてが 俺を笑わせるけれども、俺は塵の粒だから 注文したものを受け取るとき、気をつけろ 神か悪魔か、どちらが水をワインへ変えたのか? 4日目には すべてが混乱している 俺はわからない、泣くかどうか どんなに笑ったとしても 電話を使って、かけまくる すべての友人たち もっと酔いがさめてる日には ほとんど思い出さない彼らも 何が正しいのか そして 何が間違っているのか? 何が過量なのか そして どのくらいなのか? 何が正しいのか そして 何が間違っているのか? これまでは 少し過量が ちょうど適している 5日目は 手を振っている どこか遠くのあそこで 俺は思う、バケツ1杯が食事にはふさわしいと 目覚めていても 眠っている ほかは間違っている 何もかも 畜生もうどうでもいい 注文したものを受け取るとき、気をつけろ 神か悪魔か、どちらが水をワインへ変えたのか? 6日目には もう自分の罪を告白しはじめさえする 許しを請い、もっと少量で 酔いを覚ますことを決心する しかし 少量は多量でもある、自ら溺れることを望む ひとり地下室(注1)に座り、夢うつつでうとうとしている 注文したものを受け取るとき、気をつけろ 神か悪魔か、どちらが水をワインへ変えたのか? 7日目が明けるとき 神は休んでおり もはや同胞(注2)を見ることも聞くこともしない そのとき 誰かが車へ運び、まっすぐ病院へ搬送する 俺はぐちをこぼす:不愉快なまねのせいで 友人だとわかるもんだ 注文したものを受け取るとき、気をつけろ 神か悪魔か、どちらが水をワインへ変えたのか? 注1;ワインセラーのような地下の食料貯蔵スペースをさす。 注2;原詩では、聖書の用語としての「lähimmäinen」(=neighbour)
2 Comments
EIKO
24/7/2017 21:44:37
お酒を買うのはとっても面倒なはずなのに、
Reply
Ismo Alanko来日公演実行委員会
24/7/2017 22:44:18
お酒だけいくら取り締まっても、アルコール問題はなくならないでしう。お酒がなければ飲まずにすむ人は、そもそも依存症ではないですもんね。
Reply
Leave a Reply. |
Authorこのブログは、Ismo Alanko来日公演実行委員会が運営しています。Ismoファンの交流の場にできればと思っておりますので、どうぞお気軽にご参加ください。 Archives
November 2018
Categories
All
|