今日はストーリーテラーとしてのIsmoの側面を味わえる1曲をご紹介したいと思います。
この曲は、2013年にリリースされたソロ名義での5thアルバムのタイトルトラックです。 Ismo自身が見た夢から着想を得た曲だと語っています。
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Maailmanlopun sushibaari 終末(注1)の寿司バー
それは街はずれの奇妙な自動車修理店だった 郊外の奥 細長いホール、そこでは男たちがフロントデスクの向こうで 仕立てスーツを着て 金について話していた 曲がった路地の向こう側に面するのは ロマンチックなディナーを宣伝するレストランと 居心地のよさをうたう2,3軒のワインバーだった 私は車を中へ乗り入れ、整備工へ修理にあずけた 数時間後に返すと約束した 私は空腹だとこぼした、仕立てスーツの男たちは教えてくれた 近くに素晴らしい寿司バーがあると "通りを越えて、右へ、小さな公園を通り抜けると 丘の上に牧歌的な食事のオアシスがぼんやり見える" 饒舌なほうは歌い、蝋の顔のほうは沈黙していた 私は即座に出かけた おいしい寿司にありつけるという考えに興奮して 通りは交通量が多かった、車は大きく どの車にもむっつりした運転手が1人座っていた 私はすき間へ突き進み、陽のさす側へ出た 歩道はなく、他には誰も歩いていなかった 公園を見つけた、そこには巨大なオークの木が生えていた 我々の世界の美しさに非常に感動した しだいに公園は森へと変わり うす暗くなった 光は消えはじめ 日が暮れた やぶが生い茂る丘を上った 最初の奇妙な年老いた女性たちが 泥酔し(注2) つかみかかる手を伸ばしながら 私の方へよろめいたとき 彼女たちがまったく腫れ物だらけなことに気づいてぞっとした こちらに向かって 半分腐敗した老人たちが転がってきた 彼らの顔はぼろぼろで ちぎれた腕(注3)を振っていた 狂人たちが最後の乱痴気パーティーのようにわめいていた 奇形の化け物たちが狂って湯気を立てていた それらのいくつかは頭だけが見え、その他の体は泥の中へ沈んでいた それで私はわめいている頭の塚を通り過ぎていった ついに目的地が見えた、爆発したあずま屋が 苔に擁かれ、蔓に隠れて 丘の上に終末の寿司バーが力なく傾いていた からっぽで 見捨てられて 私も同じように からっぽで 見捨てられて 私も同じように 注1;「世界の終わり、黙示録」の意。 注2;原詩では「カッコウのように酔って」という高度な酩酊状態をさす慣用句が用いられている。 注3;原詩では「腕の切り株」と表現されている。
2 Comments
EIKO
14/11/2017 00:00:13
日本に来たことがないIsmoにとって、sushi barは何を象徴してたんだろうか?
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Ismo Alanko来日公演実行委員会
14/11/2017 20:29:48
Ismoはどんな潜在意識のもとで、こんな夢を見たのでしょうか?
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