この曲は、Ismo Alanko Säätiöの3枚目のスタジオアルバム「Hallanvaara」(2002)に収録されています。 もともと管弦楽アレンジが加えられている曲で、オーケストラとの共演コンサートのレパートリーにもなっています。 ちなみに、来年5月にタンペレにて開催される3daysのIsmoフェスティバルで、初日のタンペレ・フィルハーモニー管弦楽団との共演コンサートにつけられたタイトルは「Kullankaivajat」です。 残念ながら、オリジナルバージョンはYouTubeでは見つからなかったため、Ismo Alanko Tehollaでのライヴ映像をリンクしておきます。オーケストラアレンジを想像してみてください。 Kullankaivajat 金鉱掘りたち 男たちは金塊を探している 見つけると ピザ屋へ行き ビールを1杯(注1)飲み、おそらくもう1杯飲む 妻へも同様のものをふるまう 男たちは金塊を探している もし見つからなければ、ピザ屋へ行き ビールを1杯ひったくり、さらにもう1杯ひったくる 妻はもらわない、彼女はすでにそれを飲んだから 金鉱掘りたち 婦人(注2)は唇を通して金(きん)を欲しがる 彼女の目の中にはまだ火がある 男性(注3)は小さな危険を冒す決心をする カウンターの下から(注4) わずかながらくたを処理する 金鉱掘りたち 若者もまた貴金属を欲しがる タトゥーへ より多くのディテールを望む スピードは加速し、すでに獰猛に進んでいる 皆が楽しみ、誰もみじめではない 金鉱掘りたち しかしそのとき 墓地から奇妙なカタカタいう音が聞こえる 草地の表面が裂け、棺のふたが開く: “黙れ 同志たち - 俺たちはここで眠ってるんだ 俺は少し具合が悪い、俺たちが会うときにしゃべろう” 夢が現実であるそこで 金の皿から 取りさえすればよいとき すべてを手に入れる、でもそれは今十分ではない すばらしい、でももっと そしてそれだけだ 男たちが、女たちが、忙しく息切れして(注5) 叫び声をあげる、アクセルペダルが底まで押されるとき 夜更かしして 頭がイカれる 狂気から彼らを守ることはできない 金鉱掘りたち 穀物の代わりに 水車小屋へ水を得る 金鉱掘りの100人の子供たちは 皆 飢えて お互いをうかがう ごみを食らい、骨をかじる 金鉱掘りたち しかしそのとき 病院からかん高い声が聞こえる 子供がおびえて悲鳴をあげている、目は光っている どこかから ひざ(注6)が見つかり、チビはすぐに落ち着く 老女の顔が胸に寄り添う 注1;1杯は0.5ℓ 注2;原詩では「rouva」で既婚女性の敬称。 注3;原詩では「herra」で男性に対する敬称。 注4;原詩では「alta tiskin」。「tiskin alta」(=under the counter)は、「やみで、不法に」の意。 注5;原詩では「kielet vöitten alla(複数)」。「kieli vyön alla(単数)」(舌がベルトの下にあって)は、忙しく息切れしている状態をあらわす慣用句。 注6;原詩では「syli」(=lap)で、座った時の腰からひざ頭までのももの上の部分全体をいい,子供などをのせる場所をさす。
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