a.o.さんにステキなエッセーを寄稿していただいたので、ご紹介したいと思います。
豊かな感性にあふれた、とてもユニークなお話しです。 どうもありがとうございます!
私がイスモ様を始めて知ったのは、多分1995年、今から22年前だったと思います。フィンランド好きの友人からイスモ様のアルバムが入ったカセットテープを借り、ひたすら「すごくいい」、「すごくいい」と思って虜になったのです。残念ながらそのアルバムが何であったか、テープはダビングしたもので、ローマ字が色々書いてあったとしか思い出せません。
それから1年後、いきさつは忘れてしまいましたが、フィンランドのCDのカタログを手にいれて、そこにあったイスモ様の「irti」を注文しました。そのカタログは作品名とアーティスト名しか書いてないものでした。 1996年7月15日の夜、寝室(といってもワンルームのマンション)の窓から黄色い蛾さんが入ってきて、散々悪戦苦闘をしたのですが出て行ってくれないので、そこが寝床のように天井にとまった蛾さんと一緒に一夜を過ごす事になりました。お利口さんの黄色い蛾さんは次の日の朝、窓を開けるとすぐ出て行ってくれました。 はたして、その2週間後に「irti」が届き、大変ビックリしました。Eikoさんのエッセーの中に写真があるのですが、「irti」のアルバムジャケットはイスモ様のお顔に黄色い蛾が貼り付いているものなのです。ただの偶然かもしれませんが私にとっては衝撃であり喜びでもあったイスモ様の初めて手に入れたCDでした。
(Eikoさんのエッセーはこちら)
イスモ様を知ってから22年以上経っていますから、イスモ様が進化していくのはもちろん、私のイスモ様とイスモ様の音楽に対する思い、印象などは様々に変わっていると思います。今現在の気持ちを書くしかありませんが、イスモ様の音楽とイスモ様のお声は心に焚きしめられる、心を浄化する芳しい高貴なお香のように思われます。イスモ様は精霊のような、あらゆる所に偏在するかのごとく不思議な存在となっています。イスモ様からは美しさの精髄が立ち登り、厳しさの炎が渦巻き、残酷の雷が轟く・・・etc それはよいものばかりではないかもしれませんが崇高で気高いもの、永遠のようなものだと思うんです。
私は22年間フィンランド語を理解しようと思いませんでした。わかる必要さえないと思っていました。実行委員さんの夢を実現していく行動力を見ていると、私はずーっと夢の中にいたんだなと思うのです。イスモ様のライヴを観たい、イスモ様にお会いしたいとは思っても夢の中でそう思っているような感じです。言葉を理解する事は現実を理解する事になって、現実の理解は確実な実行する力になるんだと思いました。そうして、しかも実行委員さんは私の夢まで現実にしてくれます。 私は現在闘病生活中でイスモ様のライヴに行くことができるかどうかはわからないのですが、イスモ様が日本に来てくれることは、たとえライヴに行けなくても、それだけで凄いことだと思います。日本が浄化されるように思います。2018年はきっと素晴らしい年になるでしょう。
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Eikoさんに写真付きの素晴らしいエッセーを寄稿していただきました。 ファン歴の長いEikoさんならではの視点で、Ismoがどのようなアーティストなのか、とてもよく伝わる内容だと思います。 どうもありがとうございます! Ismo Alanko, jumalani joskus opettajani
私が初めてIsmo Alankoを知ったのは、1993年、もう24年も前のことです。 当時日本では、フィンランド人F1ドライバーのミカ・ハッキネンが大人気で、F1ファンの女子の間では、フィンランド語を勉強することが、ちょっとしたブームになっていました。私はハッキネンが好きだからフィンランドに興味を持った世代です。 ところが。当時はもちろんインターネットなどない時代。フィンランド語を勉強したくても、日本語/フィンランド語の教材は、戦後まもなく発行された古書のような学術的な文法本と、著名な荻島教授の1500語の単語集のみ。中学校の英語の教科書レベルの教材すら存在しない時代でした。 とても素人に手が出せる言語ではないなと思い、東京に住んでいる地の利を生かして?友人のツテを頼りに、フィンランドからの交換留学生を紹介してもらいました。 その方は音楽好きで、「フィンランドの音楽」に触れることができるようにと、いろいろなミュージシャンの曲をセレクトしてダビングしてくれ、1本のカセットテープを作ってくれました。 その中に、Hassisen Koneの曲が2曲入っていました。 キラッキラでピッコピコ(笑)のニューロマで育った私には、少し古い感じのする骨太ロック系に聞こえたのですが、どこか懐かしく心地よい音にも聞こえました。 前置きが長くなってしまいましたが、これが、私がIsmoを知ったきっかけです。 カセットには、Harsoinen teräsとHiljaa virtaa veriが入っていました。 この2曲を初めて聴いたとき、歌詞カードなんてないし、何を言っているかもさっぱりわからない。 でも、張り詰めた緊張感のようなものが魂に伝わってくる、そんなイメージでした。 その後、1995年と1999年にフィンランドに行って、CDを買って来ました。 Ismoの弟、IlkkaのNeljä Ruusuaのファンにもなっていたので、Alanko兄弟はフィンランドミュージックシーンを牽引するスーパースター様なのだという認識の下、ヘルシンキやタンペレのCDショップを回って一生懸命探しました。 フィンランド語の勉強には挫折してしまい、歌詞の意味はあいかわらずほとんどわからないままでしたが、それでも、初めて聴いたときから感じていた、Ismoの歌にこめられた「Sisu」。良くわからないけどなぜか心が揺さぶられる音の洪水。 音楽という意味だけでなく、言語を音としか捉えられない私にも伝わってくる「何か」の正体は何なのか、その疑問を20年以上漠然と抱えつつ、フィンランドにライブを聴きにいくという行動にも移せないまま、私はもう「神様Ismo様」にはお会いできないのかなぁと思っていました。まさか、日本に来てくださる日が来るなんて、夢のまた夢のことだと思っていました。 実行委員の方が、すばらしい対訳をアップしてくださっていますが、この歌詞からわかるように、Ismoの歌には深遠な背景があり、Ismoの言葉を通してその背景をも学ぶことで、社会情勢から人生哲学にいたるまで、より深い精神世界に触れることが出来る気がします。 そういった意味では、単なるミュージシャンの枠を超えて、「師」として仰ぐファンの方も多いと思います。 「フィンランド語で歌う=フィンランド以外では受け入れてもらえない」ではなく、フィンランド語がわからなくても、Ismoの声を通して伝わってくる「何か」は誰しも必ず感じられると思います。また、Ismoの歌は、彼の意図を正確に理解するためにも、「フィンランド語でなければならない」のだとも思います。 フィンランドからは、古くはHanoi Rocksが世界的な成功を収めていますが、80年代にハノイがデビューした頃、日本ではルックスに注目したROCKアイドル的な扱いだったような気がします。(彼らがフィンランド出身だということはあまり強調されていなかったような?) その後、北欧メタルの流行もあって、フィンランドのメジャーバンド=メタルと認識されている方もいるかもしれません。 変り種では、レニグラ(レニングランド・カウボーイズ)が缶チューハイのCMで有名だったり、テクノに詳しい人ならRinne Radio(テクノジャズの分類になると思います)、ワールドミュージックに詳しい人ならサーミ語とテクノの見事なコラボを実現したWimmeなどもご存知の方がいらっしゃるかもしれません。 いずれもメジャーではあるけれども、私にとっては「どこの国出身かは関係ない」枠に入ってしまい、真のフィンランドらしさに触れるには、やっぱりIsmoが一番だと思っています。 彼が発表したアルバムの1/4も持っておらず、比較的古い時代の曲しか知らないので、私的ベストアルバムは「Irti」なんですが、最近はYoutubeで見ることも出来ますし、どんな曲を歌ってくれるんだろう???と来日ライブを楽しみに待っています。 By Eiko Ismoと同じヨエンスー出身の人気バンド、HapporadioのフロントマンであるAki TykkiさんによるIsmoについてのコメントをご紹介いたします。
今回の日本ツアーにあたって、書いてくださったものです。 フィンランド人にとって、Ismoがどんな存在であるか感じとっていただければと思います。 翻訳は、Mさんにご協力いただきました。(なお、日本語訳の方はフライヤーにも掲載しています。) どうもありがとうございました! ”ヨエンスー出身のぼくらは、イスモ・アランコの音楽で育てられたようなものだ。Hassisen Kone(ハッシセン・コネ)がブレイクしたとき、私はまだ幼かったので、イスモの音楽はこれまでの人生で、実質的にずっと共にあったといえる。 彼の数多くの傑作の中で、個人的に一番思い入れの深いものは、1990年発表の1stソロアルバム「Kun Suomi putos puusta(フィンランドが木から落ちたとき)」だろう。それは1つの完成作品として何とも素晴らしく、またその歌詞は私の中の悠久なる東フィンランド人の根幹のどこかを揺さぶる。”(Aki Tykki) 原文はこちらです。 ”Meille joensuulaisille Ismo Alangon musiikki tulee äidinmaidon mukana. Olin vasta lapsi kun Hassisen Kone löi itsensä läpi, joten Ismon musiikki on ollut läsnä käytännössä koko ikäni. Hänen tuotantonsa lukuisista vuorenhuipusta ehkä itselleni rakkain on hänen ensimmäinen sooloalbuminsa 'Kun Suomi putos puusta' vuodelta 1990. Se on jotenkin upea kokonaisuus ja sen sanoitukset osuvat johonkin ikiaikaiseen ja itä-suomalaiseen puunrunkoon sisälläni.”(Aki Tykki) |
Authorこのブログは、Ismo Alanko来日公演実行委員会が運営しています。Ismoファンの交流の場にできればと思っておりますので、どうぞお気軽にご参加ください。 Archives
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