この曲は、Sielun Veljetのフルアルバムとしては5枚目にあたる「Suomi – Finland」(1988)に収録されており、シングルとしてもリリースされました。
作詞はIsmo、作曲はSielun Veljetのギタリスト Jukka Ormaとの共作です。 ソロライヴアルバム「Yksin Vanhalla」でも聴くことができ、静けさの中に響く間奏のギター1音1音の重みは、まさにIsmoのソロの醍醐味です。
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Ihminen 人間
線路がどこへ導くか知らぬ列車 それでも完全にそのレールに乗って 石のように固い光景 ガラスの宝石のように 石は固い 私はそうではない 私は人間 でも それは何? ジグソーパズル村の 賢明な女性のところに 私はそれでもスキーをした 怖かったのだが もちろん冬だった 雪が溶け去り くすくす笑い始めた 奇妙なスキーヤーを見て 村じゅうが笑った 私はそうしなかった 私は人間 でも それは何? ダイヤモンドの目と金の口よ 万歳 我々の残りは 祈りに行く お金の聖堂へ ドアの向こうで 誰かがノックする 誰、それは誰 そこで いつまでもすすり泣いている ああ 墓の涼しさと静けさの中へ 休むことができるなら 残ることだろう ガラスを吹いて作られた街と 金メッキの秒が そして 石のように固い光景 ガラスの宝石のように 石は固い 私はそうではない 私は人間 でも それは何?
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Ismoの声は、まるで心を持った楽器のようです。
今日は、そんなIsmoの声の魅力を堪能できるアカペラ曲を取り上げてみたいと思います。 この曲は、ソロ名義での1stアルバム「Kun Suomi putos puusta」(1990)に収録されています。 1990年のVanha ylioppilastaloでのライヴ映像でどうぞ。
Spotifyでは、ソロライヴアルバム「Yksin Vanhalla」のボーナストラックとして、この曲も収録されています。
Hetki hautausmaalla 墓地でのひととき
俺は石を見つめている、そこには死んだ仲間の名が刻まれている 俺自身もここへ行き着く、どんなにあがいても 彼の笑顔は腐ってゆき、拳は土に返る そして その千マルッカ(注1)が 蝕んでいたとしても もはや まったく感じない 俺は石を見つめている、そこには死んだ仲間の名が刻まれている 彼のブロンドの髪は 伸びている 雪がすでに地を覆っていても 彼は眠っている 意に反して、頬にはウジ虫 俺自身もそこへ行き着く、どんなにあがいても だから 俺の手を取ってくれ、行こう まだ抱き合おう、時間があるうちに 束の間の幸せの感覚 すべてのさなかに いっさいの存在の高慢さのさなかに まさに すべてのさなかに 俺は石を見つめている、そこには死んだ男の名が刻まれている 俺自身もここへ行き着く、どんなにあがいても たとえ俺が城の中で 君主として歩いても、命令を下しても それでも 最後には 土を口の中に 横たわるだろう だから しばし解放してくれ、哀れな少年よ まだ抱き合おう、時間があるうちに 束の間の幸せの感覚 すべてのさなかに いっさいの存在の高慢さのさなかに まさに すべてのさなかに すべてのそれらの美しい日々 俺は聞いた 苦痛の声を 自分自身の精神を見つめた、時間に敗北した 今 俺の青ざめた顔は腐ってゆき、骨は土に返る そして その千マルッカが 蝕んでいたとしても もはや まったく感じない 俺は石を見つめている、そこには刻まれている 俺の死んだからだの名が 注1;フィンランドの旧通貨
今日は、今回のソロツアーの定番曲の1つをご紹介したいと思います。
この曲は、ソロライヴアルバム「Yksin Vanhalla」の発売日に行われたライヴ配信の中でも歌われていました。 オリジナルは、1980年リリースのHassisen Koneのデビューアルバム「Täältä tullaan Venäjä」に収録されています。 また、同年リリースの2ndシングル「Rappiolla」のB面曲でもあります。
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Kulkurin iltakalja 放浪者の宵のビール
お前は走ることができる 自分の命のために お前は足早に行くことができる ある場所から別の場所へ それでもお前は縛られている 物と時間に お前は横たわることができる ビロード(注1)のソファーに あるいは ハンサムな男に 鮭を捕まえることはできない パーチ(注2)のルアーでは 俺の胸元は飾られていない どんな馬具にも 俺の唯一の鎖はお前だ 放浪者の宵のビール 俺はさまよい、進み そして 喜ぶ 恐れ、笑い そして 泣く 俺は知っている 自分の知識の少なさを だから 俺は心を差し出す 俺は知っている 苦しみや愛を 魂のむしばむ病を ただお前だけは取り除けない お前の慰めが必要だ 俺の胸元は飾られていない どんな馬具にも 俺の唯一の鎖はお前だ 放浪者の宵のビール 注1;プラッシュ(ビロードの一種で、布の表面に毛が立っているもの) 注2;ヨーロッパ産の食用淡水魚 フィンランドで秋のソロツアーを見てきました。 これは、9月24日ピエクサマキ公演のセットリストです。 実際のコンサートでは、いくつか変更が加えられており、演奏されなかった曲もあります。 来日公演ではどんな曲を選んでくれるのでしょうか?
2016年4月、春のツアーおよびEP「Pannaanko pakasteet pieneen pussiin?」のリリースと同時期に、ヘルシンキのギャラリー Tiketti Galleria にて、「Omat laulut – Johanna Sipilän maalauksia ja Pekka Turusen valokuvia Ismo Alangon musiikkiin」というIsmoの音楽とのコラボレーションを行なってきた2人のアーティストの展覧会が開催されました。
同展覧会では、Ismoの曲からインスピレーションを得たJohanna Sipiläの絵画と長年にわたってフィンランドとそこに住む人々の姿をとらえてきたPekka Turunenの写真が展示されていました。 Johanna Sipiläは、昨日ご紹介したとおり、Ismoのコンサートでのヴィジュアル面(バックスクリーンへの作品投影)を手掛けているほか、アルバム「Ismo Kullervo Alanko」(2015)のジャケットのスケッチも描いています。 Pekka Turunenは、スクリーンへの写真の投影とIsmoの音楽の生演奏を融合した Valokuvakonsertti (写真コンサート)というイベントを行なってきました。 これは、その展覧会を紹介したビデオで、英語字幕付きのJohannaのインタビューがあります。
Johannaの作品はこちらのサイトで見ることができます。
Johannaの作品の中で特に素晴らしいのは、やはり「Mikrokosmos」でしょう。
ソロ名義でのスタジオアルバムとしては6作目の「Ismo Kullervo Alanko」(2015)に収録されているこの曲について、Ismoは自身の生活からの真の感情であり、愛の告白だと語っています。
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Mikrokosmos 小宇宙
もしも 神が存在するならば それは今 私のそばで休んでいる 女性の形になって そのように この瞬間に 私に小宇宙を見せてくれ 私を連れていってくれ もっとあなたの近くへ 私に小宇宙を見せてくれ その秘密を明かしてくれ 私はこの手に 生きている実体を感じる 通りの上には セイヨウトチノキ(注1)が揺れている ユートピアの地図が あなたの肌にタトゥーされていて すべてが この瞬間に 私に小宇宙を見せてくれ 私を連れていってくれ もっとあなたの近くへ 私に小宇宙を見せてくれ その秘密を明かしてくれ そして 私は見る 生が 幾重にも生まれるのを 私に小宇宙を見せてくれ 私を連れていってくれ もっとあなたの近くへ 私に小宇宙を見せてくれ その秘密を明かしてくれ 注1;街路樹として利用される。
今回の秋のソロツアーは、比較的大きな都市のコンサートホールが中心であり、ステージ上のスクリーンには、Johanna Sipiläの絵画が投影されるヴィジュアル面での演出もあります。
Johannaは、Ismoの曲からインスピレーションを得た作品をいくつも制作しています。 このFacebookの写真に写っている作品は、「Peilikuva」をテーマとしたものです。
「Peilikuva」は、Ismo Alanko Säätiöのスタジオアルバムとしては3作目にあたる「Hallanvaara」(2002)に収録されています。
また、ソロライヴアルバム「Yksin Vanhalla」(2017)の中でも聴くことができます。
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Peilikuva 鏡像
私は街の真ん中に立ち 鳥を呼ぶ 車が私の周りで暴れ回る 私は鳥を呼ぶ 私にもたらしておくれ かごの中に風を 風にもたらしておくれ シェルターを 私にもたらしておくれ 風の作り手を 風にもたらしておくれ 妻を 私は漕ぐ 交通渋滞の中で 湖の真ん中で 太陽のわずかな光線のどれもが 私の目をくらませ、私は自分の道筋を選ぶ 往来の真ん中から トウヒ(注1)がそびえ立つ なぜ私は選ばないのか 私の道をより正確に なぜ私は見ないのか、影が投獄されているとき 湖面よ、私に私の新しい像を見せてくれ 私にかよわい臆病者である力を与えてくれ 私に美しさを見せてくれ、私が目を閉じるとき 私は大きな市場の真ん中に立ち 鳥を呼ぶ 私は腕を振り回して 空中に穴をあけ 鳥を呼ぶ 私は聞く しなやかな羽ばたき(注2)が この市場へ近づくのを 私は感じる 美しい動きが立てる風が 愛撫するのを 私は最後の鳥(注3)の背へ上り そして 夜の中へ乗っていく 長く美しい人々の影に混ざって 私は歩き回る 少しよろよろしながら 私の力はゆっくりと私から去る 私は自分の顔を失う 街の夜の中へ そして 私の目は消える 弱まりながら 眼窩へ 眼窩の中の冷たい目が ゆっくりと回転する 手首の末端で 骨の手袋がひとりでに揺れる まだどこかで 心臓が体内へ血液を送り込む 男はこのすべてを 自分の鏡像だと認める 注1;マツ科の常緑針葉樹で、クリスマスツリーとして使われる。 注2;詩集「SANAT」では、「raskaiden siipien iskujen」(重い羽ばたき)となっている。 注3;詩集「SANAT」では、「suurimman linnun」(一番大きな鳥)となっている。
今夜、プッキラという人口2000人足らずの小さな町でライヴがあります。
ちなみにプッキラでは、昨年1月、まだIsmoのソロ活動が本格始動する前に、2daysでソロコンサートが行われています。 そして、明日からいよいよ秋のソロツアーが始まります。 春のソロツアーでは、あえて決まったセットリストはなく、観客のリクエストに応じる場面もありました。 ある女性ファンが、本日取り上げるこの曲をリクエストしたところ、その時点ではソロのレパートリーにはなかったのですが、Ismoは後日彼女が別の場所のライヴに来るときにやると言い、実際にその約束を果たしました。 来日公演でも、是非みなさん積極的にリクエストしてみてください。 また、どうしても聴きたいレアめの曲などありましたら、事前にお知らせください。 よろしくお願いします。 この曲は、ソロ名義での5作目にあたるアルバム「Maailmanlopun sushibaari」(2013)のラストナンバーです。
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スタジオバージョンはYou Tubeでは見つからなかったので、2013年のライヴ動画とSpotifyをリンクしておきます。
Ennakkoluuloja ja vainoharhoja 偏見とパラノイア
俺は事前に過度に予期しすぎる(注1) 俺には妄想に関する迫害がある(注2) 高所で 恐れ 深みの中で 苦しむ 俺は事前に過度に予期しすぎる 中心の混乱 愛の誤ったコード 果てぬ恋しさ 克服できぬ恐れとともに そういうもの そういうもの 俺には劣等に関するコンプレックスがある(注3) 俺は経済について 何も知らない 文明は 夢の世界 現実 逃げ場 劣等に関するコンプレックス 中心の混乱 愛の誤ったコード 果てぬ恋しさ 克服できぬ恐れとともに そういうもの そういうもの なぜ俺は歌うのだろう 弱さや 恐れや恋しさについて 俺は歌う、なぜなら 歌われざる歌は 恐れを生き残らせるから そういうもの そういうもの 注1;原詩は「Mä luulen liikaa ennakkoon」で、ennakkoluulo(偏見)という語を分割した言葉遊びになっている。 注2;原詩は「mull’ on vainoja harhoista」で、vainoharha(被害妄想、パラノイア)という語を分割した言葉遊びになっている。 注3;原詩は「mull’ on kompleksi alemmuudesta」で、alemmuuskompleksi(劣等感)という語を分割した表現になっている。
今日は、Ismoが他のアーティストへ提供した曲をご紹介したいと思います。
前回のブログは、アキ・カウリスマキつながりでしたが、ここでもう1つ。 同監督の96年の映画「浮き雲」の中で使用されているMelroseの「Human Rights for Snakes 」は、Ismoの作詞作曲です。 次は、フィンランドの重鎮 Vesa-Matti Loiriの2013年のアルバム「Tuomittuna kulkemaan」に収録されている「Syvä maanantai」という曲です。
Syvä maanantai 深い月曜日
深い月曜日は ため息をつく それは未来に目を向ける 深い月曜日は おののく それは恐れから まだ平静を得ぬ 日曜日に 新たな法律がつくられた それは殺人を許す もし状況がそう求めるならば 権力を有する者が決める(注1)何を決めるかを 今 多くの人々が 彼らの日々を終える(注2) すべてただ金のために すべてただ金のために すべてただ金のために 深い月曜日は ふるえる それは鞭打つ者へ背をさらす 深い月曜日は 叫ぶ それはこれが本当だと信じられない 日曜日に 再び権力が分配された 死刑執行人に すべての票が与えられた 彼が約束したとき 思いやりをもって 貧しい者を助け そして謙虚であると すべてただ金のために すべてただ金のために すべてただ金のために 注1、注2;ともに「päättää」という同じ語が用いられている。
この曲をIsmoが歌った正式音源はありませんが、2013年にリリースされたBOXセット「Superlajitelma」に入っている「DEMOT」というCDの中で、デモバージョンを聴くことができます。
このBOXについてはこちら
また、Kimmo Pohjonenとの共演においては、この曲はライヴのレパートリーの1つにもなっています。
先日、アキ・カウリスマキ監督の新作が国際映画批評家連盟(FIPRESCI)の年間グランプリを受賞したことにちなんで、カウリスマキつながりの話題です。
アキ&ミカ・カウリスマキ兄弟監督の初長編作にあたる「Saimaa-ilmiö」(81年)という音楽ドキュメンタリーには、Ismoが出演しています。 この映画は、Hassisen Kone、Eppu Normaali、Juice Leskinen Slamの3バンドが一緒に、蒸気船SS Heinävesiでサイマー湖周辺を回った81年の"Tuuliajolla"ツアーの模様を収めたもので、ライヴシーンも記録されています。 今日はその中から、「Pelkurit」という曲をご紹介したいと思います。 この曲は、Hassisen Koneの2ndアルバム「Rumat sävelet」(81年)に収録されています。
Pelkurit 臆病者たち
俺は1人のちっぽけなクソ野郎 その全世界は自分の頭 お前は歩いてくる そして 白熱する 俺から隠された人生を お前は清く、もろく、傷つきやすい 俺は怖れる 俺の手がお前を汚すことを 俺はお前を捕らえて 押しつぶす お前は背を向け 自分を閉ざす お前は人生のキャリアへ飛び込んだ 上へ向かって、競争の人生へ お前は俺を捕らえる 消えゆく時間を捕らえるように お前は俺の中に見る 禁断の果実を お前は俺の袖を捕まえ 震える お前は怖れる すべてを誤って語ることを お前は背を向け 微笑む 俺はお前を見送る 悲しい目で 俺はお前を怖れすぎる、お前は俺を怖れすぎる 俺たちは怖れすぎる どこか遠くの世界を 俺はお前を怖れすぎる、お前は俺を怖れすぎる 俺たちは怖れすぎる どこか遠くで 恐怖に震える世界を そうして 恐怖が俺たちを隔てる 時の流れは続く、でも 人生はそうじゃない 笑っている口は、みじめな裏切り者 忘却の苦痛は和らがない、決して 俺は感じる 見慣れぬ手を、他人の頬を 冷たい視線を、腕の中を、口を そして 俺はただますます怖れる あの流れが 俺から人生を奪うことを 俺はお前を怖れすぎる、お前は俺を怖れすぎる 俺たちは怖れすぎる どこか遠くの世界を 俺はお前を怖れすぎる、お前は俺を怖れすぎる 俺たちは怖れすぎる どこか遠くで 恐怖に震える世界を
昨年は、ちょうど「Saimaa-ilmiö」の35周年記念の年であり、毎年ソダンキュラで開催されるMidnight Sun Film Festivalでは、映画を上映しながら観客みんなで合唱する"映画カラオケ"なるユニークなイベントが行われ、Ismoもゲスト参加しました。
常に新たな可能性を開拓し続ける世界的なアコーディオン奏者 Kimmo Pohjonenは、かつてIsmo Alanko Säätiöのメンバーとして在籍していたことがあり、現在でもしばしば共演しています。
昨夜、フィンランドからライヴ中継があったPohjonen Alankoは、下記のメンバーから成り、即興的なヴォイスパフォーマンスをはじめ、シャーマニスティックな陶酔からダンサブルなエレクトロビート、イマジネイティヴな美しい音世界まで、ジャンルを超えた実験的なユニットです。 Ismo Alanko: ヴォイス、ギター Kimmo Pohjonen: ヴォイス、アコーディオン Tuomas Norvio: エレクトロニクス これは、2015年のNorpas Festivalからのライヴダイジェストですが、現在はさらに完成度が高まり、コスチュームにも凝っています。 また、2015年リリースのKimmo Pohjonenのアルバム「Sensitive Skin」に収録されている「Ramsoo」という曲には、Ismoがゲスト参加しており、Pohjonen Alankoのレパートリーにもなっています。 最後にIsmoとKimmoの共作である「Linnuntie」という名曲をご紹介したいと思います。 この曲は、実際の発動機などを用いたモーターマンとの共演レパートリーであり、現時点では正式な音源化はないようです。 (なお、この日本語訳は、Kimmo Pohjonenの50歳記念コンサートでのバージョンに基づいており、リンクの映像では歌詞の順番が若干違います。) Linnuntie 鳥の道筋(注1) 鳥の道筋を 俺は進んだ 俺は思っていた いつも自分は飛んでいると 秘密をあばくと (*) それらの美しい朝が 俺に与えられた 俺の日々の中へ 希望が築かれた 俺はすべてを引き裂き、呪文を歌った: “俺を助ける必要はない” (**) 俺は自分で 灰から舞い上がりたかった 火がつき、燃え上がり、そして燃え尽きたかった 俺はそれをすべてやった 理解できるように なぜ、どこから、どこへ? (*)(**)繰り返し 鳥の道筋を 俺は進んだ 俺は思っていた 自分は飛べるものだと 秘密をあばくと 鳥の道筋を 俺は進んだ 俺は思っていた いつも自分は飛んでいると 永遠を朝へもたらすと (叫び) 注1;Linnuntieとは、最短の直線ルートをさす。
2011年にヘルシンキで行われた東日本大震災救援のためのチャリティ・コンサートに、IsmoはTeho Majamäkiとともに出演し、この曲を演奏しました。
まるで、Ismoから日本へ向けてのメッセージであるかのようなその選曲は、とても感動的でした。 この曲は、Ismo Alanko Tehollaの2ndアルバム「Onnellisuus」(2010)に収録されています。 残念ながら、オリジナルバージョンはYouTubeでは見つからなかったので、9/1にリリースされたソロライヴアルバム「Yksin Vanhalla」からのテイクをリンクしておきます。(なお、これはSpotifyのみのボーナストラックで、CD, LP, iTunesには収録されていません。)
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Hengitä 呼吸してごらん 君が夜明けへ扉を開くとき 呼吸してごらん 呼吸してごらん 空っぽの中へ その荒々しい混沌へと歩むとき 呼吸してごらん 呼吸してごらん 他の誰もがそうしている 弱い者も強い者も同じように ある者は静かに ある者はあえぎ どの息吹も君を待っている 君を愛している 私はそれを知る 呼吸するとき 君が恋しさへ逃れるとき あるいは自分の影に出会うとき 呼吸してごらん 呼吸してごらん 私はそばにいる 石の上で待っている そして呼吸している 呼吸している 人生はとても愛らしい 悲痛な思いに覆われた 死の鐘が私たちを呼び覚ます 再び新たな人生へ 君を愛している 私はそれを知る 呼吸するとき 呼吸してごらん
なお、前述のチャリティ・コンサートは、ネットを通じて全世界へ生中継されました。
そして、今夜もまたIsmoのパフォーマンスを日本でもリアルタイムで見れる貴重な機会があります。 日本時間の9/8午前2時より、Kimmo Pohjonenとのユニット、Pohjonen Alankoのライヴがネット配信されますので、是非お見逃しなく!
ライヴはこちらのサイトで見ることができます。
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