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ここでは、Ismo Alankoの曲紹介やフィンランドのよもやま話などを書いていきたいと思います。
フィンランド語の原詩は、オフィシャルサイト(https://www.ismoalanko.com/)の"SANOITUKSET"のコーナーに掲載されています。
  ISMO ALANKO JAPAN TOUR
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フィンランドライヴ事情~ファンとの交流編~

27/7/2017

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フィンランドと日本の大きな違いの1つとして、アーティストとファンの距離が近いという点が挙げられると思います。
以前、フィンランドではバーやレストランでライヴが行われることが多いと書きましたが、終演後、そのまま飲み続ける人たちが結構いて、アーティストも同様に飲みに来ることがあります。
また、ときにはアーティスト自ら、ファンサービスとして出てきてくれることもあります。
日本のように係員に急かされることはないので、サインをもらったり、一緒に写真を撮ったりしながら、ある程度会話することができます。
今回の来日の最初のオファーも、そのような機会にIsmoに直接伝えることができました。
フィンランドのアーティストは有名人であっても、スターのおごりや気取りはほとんど感じられないところがとても素晴らしいと思います。
そして、もう1つ、これは日本人が見習わなければならないことだと思うのですが、プライベートな場面でアーティストを見かけても、キャーキャー騒ぎ立てる人はいません。
そのようなマナーがあるからこそ、アーティストはファンを警戒せず、心を開いて接してくれるのでしょう。

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@Kaukametsä in Kajaani 2015.11.19
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Kun Suomi putos puusta - Ismo Alanko (1990)

26/7/2017

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これは、1990年にリリースされたソロ名義での1作目のアルバムのタイトル曲であり、Ismoの代表曲です。
近代化の波の中、フィンランドの急激な変化を描写したこの曲は、もっともIsmoらしい曲の1つと言えます。
Ismoは、ありのままのフィンランドを冷静に見つめ、ときには批判的な視点も持ちながら、フィンランドという国をとても愛しているアーティストです。
そして、Ismoが描き出すフィンランドに、私たちは日本を重ねて考えることもできるでしょう。
Ismoがフィンランドの中に見出し、提起するものは、常に大切な、普遍的な何かをはらんでいます。

この曲は日本語に訳すのが非常に難しく、その解釈にあたっては、フィンランド在住の複数の友人の多大なご協力をいただきました。どうもありがとうございます。

よくわからない箇所もあるため、何かご指摘がございましたら、是非お知らせいただければと思います。
Kun Suomi putos puusta    フィンランドが木から落ちたとき
 
フィンランドが木から落ちたとき、美しい夏の日曜だった
仰天した人間の子供が わら(注1)を 寄せ木細工の床へ替えた
汗まみれの頬骨から 鼻水がそこら中へ流れた
コスケンコルヴァ(注2)が 信徒(注3)を極楽へ連れていく
カレリア(注4)のやぶにらみが モニター端末を見た
ウント・リトマネン(注5)が 悲しみに暮れて ボジョレーを1本買った
サヴォ(注6)の若者が "アシッド・ハウスへ行き" (注7)
手始めに密造酒(注8)を食らった それからさらにもっと
 
フィンランドが木から落ちたとき、すべてが急激に起こった
豚そのものも 麻袋さえも 見かけなくなった
フィンランドが木から落ちたとき、牛乳は ミルク(注9)になった
氷上釣りの獲物は 冷凍食品に、夜は ブラックに(注10)
フィンランドが木から落ちたとき、すべてがとても急激に起こった
 
沼地、鍬とユッシ(注11)
マルティン・ルターとプラスチック袋
ドイツとスウェーデンとロシア(注12)が 一斉にため息をついた
フィンランドが木から落ちたとき
 
フィンランドが木から落ちたとき、時計は7時を示していた
8時に 骨折した足が(注13) 生活水準の競争へ
片足は牛小屋に、もう片足はテニスコートに
片手で牛の乳房を、もう片手でリモコンを
森の民の心、舌はより大きな口をかき回す
スモークサウナ(注14)の暗闇の中で 情報技術者(注15)が幸せに浸る
ヴェイヨ・ハマライネン(注16)が 中華ピザをひっくり返す
コロンブスのハンザ同盟のご馳走(注17)の名のもとに 枯枝の束をねじ曲げる(注18)
 
フィンランドが木から落ちたとき、すべてが急激に起こった
豚そのものも 麻袋さえも 見かけなくなった
フィンランドが木から落ちたとき、牛乳は ミルクになった
氷上釣りの獲物は 冷凍食品に、夜は ブラックに
フィンランドが木から落ちたとき、すべてがとても急激に起こった
 
沼地、鍬とユッシ
マルティン・ルターとプラスチック袋
ラップランド(注19)とカイヌー(注20)とカレリアが 一斉にため息をついた
フィンランドが木から落ちたとき
 
 
注1;フィンランドでは中世から、翌年の豊作を願ってクリスマスに床にわらを敷く習慣があった。
注2;フィンランドの代表的なウォッカ
注3;原詩では「körttikansa」(18世紀にフィンランドで始まったルター派教会の一派)
注4;フィンランド南東部のカレリア地方は、フィンランド人にとって精神的な故郷ともいわれる。フィンランドの民族叙事詩「カレワラ」は、カレリア各地に残っていた伝承や歌謡をもとにまとめられた。
注5;フィンランド人の男性名。
注6;フィンランド東部の伝統州。
注7;原詩では「"äsid haussiin män"」 「män」は「meni」(=「行く」の過去形)の方言。
注8;フィンランドでは1919年~1932年まで禁酒令が敷かれていた。
注9、注10;グローバリゼーションの象徴である外来語の浸透をさす。
注11;このフレーズは、Väinö Linnaによる小説「Täällä Pohjantähden alla」(=Under the North Star)からの引用。1880年代末から第2次世界大戦の終わりにかけてのあるフィンランド人一家を描いた3部作。
注12;フィンランドはかつてスウェーデンとロシアの支配下にあった。ドイツは第2次世界大戦中、ソ連に対してフィンランドを援助した。
注13;詩集「SANAT」では「
kahdeksalta jalka polki tasoelinkisoihin」となっているが、正しくは「kahdeksalta jalka poikki tasoelinkisoihin」。
注14;煙突のない小屋で薪を燃やして、煙を充満させる伝統的なタイプのサウナ。
注15;原詩では「datanomi」(IT分野の専門資格を有する者)
注16;フィンランド人の男性名。
注17;ジャガイモをさすと思われる(??)。
注18;原詩では「vääntää risukimpun」。Ismoは「vitsa」(小枝)という語の代わりに「risukimppu」(枯枝の束)という語を用いたと語っている。フィンランドには「Nuorna vitsa väännettävä.」(=小枝は若いうちにねじ曲げよ。「鉄は熱いうちに打て」に類似の意。)ということわざがある。

注19;フィンランドの最北部で、伝統的にサーミ人が住んでいる地域。
注20;北部フィンランドに位置し、人が住んでいない森林の多い地域。
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Peltirumpu - Sielun Veljet (1985)

24/7/2017

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これはIsmoの代表曲の1つであり、Sielun Veljetのフルアルバムとしては3枚目にあたる「L’amourha」(1985)のオープニングに収録されています。
Sielun Veljetは、その強烈なライヴパフォーマンスでも知られていました。
彼らのヒストリーが詰まったDVDは非常に見応えがあるので、ご興味のある方は是非入手してみてください。

DVDの購入はこちら

この曲は、L’Amourder名義で「Tin Drum」のタイトルで、英語バージョンもリリースされています。


Peltirumpu   ブリキの太鼓
 
子ども部屋の壁は黄色
太陽もまた黄色、そう言われている
ああ いつかお前がそれを見ることができさえすれば
子どもは ねだった: ”お母さん 箱から買ってよ
あのきれいなおもちゃを”
押入れから ひと遊びののち お前は墓場を得た
 
お前は孤独なブリキの太鼓
子ども部屋の押入れの中で
お前はゼンマイを巻き上げ ロボットをセットした
それは歩き始めた、お前はいつもここに残る
 
お前は冷たい死のにおいにうんざりした
そして 子ども部屋のテディベアのカーテンに火をつける
太陽を見ることができたかのようだ
子どもは ねだった: ”お母さん 買ってよ”
押入れからお前は見る、子どもは燃えている
お前は復讐はしないだろう
だが ブリキの太鼓は決して火がつくことはない
 
お前は孤独なブリキの太鼓
子ども部屋の押入れの中で
お前はゼンマイを巻き上げ ロボットをセットした
それは歩き始めた、お前はいつもここに残る


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Seitsemän päivää - Ismo Alanko Teholla (2008)

21/7/2017

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前回のブログで、ライヴでのお酒の話を書きましたが、フィンランドではアルコール問題が多くみられます。
アルコール依存について、とてもリアルに描かれたこの曲は、ライヴで聴くと、さらに痛切に響きます。
Ismo Alanko Tehollaの1stアルバム「Blanco Spirituals」(2008)に収録されています。
なお、この曲は、カレリア地方の民謡「Konevitsan kirkonkellot」(コネヴィッツァ教会の鐘)のメロディーを引用しています。
iTunesでの購入はこちら

(参考)Konevitsan kirkonkellot

Seitsemän päivää     7日間
 
1日目の晩 長い間飲んでいるうちに
すぐに酔っ払い すべて覚えていない
宵の口の会話、小さな衝突
深い打ち明け、厳しい論争
注文したものを受け取るとき、気をつけろ
神か悪魔か、どちらが水をワインへ変えたのか?
 
2日目の朝は 俺の心を楽しませる感じがする
考えはじめる前に 俺は酒のコルクを抜く
俺は哲学的になる、とても聡明だ
言葉の剣がめった斬り バーの隅のテーブルで
注文したものを受け取るとき、気をつけろ
神か悪魔か、どちらが水をワインへ変えたのか?
 
3日目は すべてを奥深く変える
たっぷりのひと飲みが 日常を洗い落として無意味にする
俺はまだすべてを片付けようとする ありふれたことすべてが
俺を笑わせるけれども、俺は塵の粒だから
注文したものを受け取るとき、気をつけろ
神か悪魔か、どちらが水をワインへ変えたのか?
 
4日目には すべてが混乱している
俺はわからない、泣くかどうか どんなに笑ったとしても
電話を使って、かけまくる すべての友人たち
もっと酔いがさめてる日には ほとんど思い出さない彼らも
 
何が正しいのか そして 何が間違っているのか?
何が過量なのか そして どのくらいなのか?
何が正しいのか そして 何が間違っているのか?
これまでは 少し過量が ちょうど適している
 
5日目は 手を振っている どこか遠くのあそこで
俺は思う、バケツ1杯が食事にはふさわしいと
目覚めていても 眠っている ほかは間違っている
何もかも 畜生もうどうでもいい
注文したものを受け取るとき、気をつけろ
神か悪魔か、どちらが水をワインへ変えたのか?
 
6日目には もう自分の罪を告白しはじめさえする
許しを請い、もっと少量で 酔いを覚ますことを決心する
しかし 少量は多量でもある、自ら溺れることを望む
ひとり地下室(注1)に座り、夢うつつでうとうとしている
注文したものを受け取るとき、気をつけろ
神か悪魔か、どちらが水をワインへ変えたのか?
 
7日目が明けるとき 神は休んでおり
もはや同胞(注2)を見ることも聞くこともしない
そのとき 誰かが車へ運び、まっすぐ病院へ搬送する
俺はぐちをこぼす:不愉快なまねのせいで 友人だとわかるもんだ
注文したものを受け取るとき、気をつけろ
神か悪魔か、どちらが水をワインへ変えたのか?
 

注1;ワインセラーのような地下の食料貯蔵スペースをさす。
注2;原詩では、聖書の用語としての「lähimmäinen」(=neighbour)

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フィンランドライヴ事情~お酒編~

19/7/2017

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フィンランドにライヴを見に行くと、日本との違いにいろいろと驚くことがあります。
その最たるものは、やはりお酒の件でしょう。
フィンランドでは、バーやレストランでライヴが行われることが多く、ライヴはオマケで飲む方が目的という感じの観客も結構いたりします。
このため、通常のライヴでは、多くの場合、未成年は入場できません。(飲酒エリアを分けて、年齢制限のない会場もまれにありますが。)
飲む量も半端ではなく、とにかく酔っ払いが多いです。

ステージ上に平気で飲みかけのカップを置く人たちもいるので、あるときのIsmoのライヴではこんな張り紙がありました。

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さもないと、こんな事態が発生してしまいますから...。
このライヴ映像の最初の方で、Ismoはスタッフに倒れてこぼれたお酒を拭くよう指示しています。

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Rakkaus on ruma sana - Ismo Alanko Säätiö (1998)

18/7/2017

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これは、Ismoの代表曲の1つで、Ismo Alanko Säätiöの1stアルバム「Pulu」(1998)に収録されています。
2004年に出版されたIsmoのセレクト歌詞集のタイトルは、「Rakkaus on ruma sana」でした。


この曲のライヴでは、間奏で観客が手拍子をする箇所があります。(2分25秒~をご参照ください。)
日本でも、みんなで手拍子して盛り上がることができたら楽しいですね。

Rakkaus on ruma sana     愛は汚い言葉
 
R、S、KとAとU(注1)を マ○コへ(注2)ぶち込めるもんなら
- すぐそうしてやるぜ!
ヘンテコな言葉を 引きちぎって 押しつぶして くしゃくしゃにしてやる
- すぐそうしてやるぜ!
邪悪な言葉をぶっ殺すことで 心配を紛らせられるもんなら
- すぐそうしてやるぜ!
たぶんそのとき あまりに多くの美しいものが死に失せるだろう
- 言葉、ただの言葉!
もっといいかもしれない たとえば チョッキ あるいは 差し掛け小屋(注3)のほうが
腸あるいはキス、晩あるいは朝
ののしり言葉みたいなもんだ 北の愛の営みは
 
愛は汚い言葉だ
憧れのほうが美しく響く
愛は汚い言葉だ
詩の強姦(注4)
 
いつか旅路で 愛についてグチれるもんなら
- すぐそうしてやるぜ!
だけど もう言葉はない、俺たちはもっと美しいやつを使ってやるけど
- すぐそれをでっち上げたぜ!
laa-laadn-doofn-diidn-dii-laadn-daadn-daa
- 言葉、なんて言葉!
単なる深い気分、善良な肉欲(注5)
- 言葉、なんて言葉!
 
もう誓いは必要ないぜ 愛の誓いは
ヨーデルを歌って 走ろう 幸せの深い森(注6)づたいに
ののしり言葉みたいなもんだ 北の愛の営みは
 
愛は汚い言葉だ
憧れのほうが美しく響く
愛は汚い言葉だ
詩の強姦
 

注1;愛を意味する単語「rakkaus」を構成するアルファベット。
注2;原詩では「vittuun」。「vittu」は女性器を意味するののしり言葉。
注3;原詩では「liivi」(チョッキ)と「laavu」(差し掛け小屋)で、(おそらくloveとかけた)言葉遊びになっている。
注4;「rakkaus」(愛)と「raiskaus」(強姦)で韻を踏んでいる。
注5;詩集「SANAT」には、この「pelkkää syvää tunnetilaa, hyvää hekumaa」というフレーズが記載されていない。
注6;原詩では「saloja」(複数分格の形)。「sala」(秘密)とも「salo」(深い森)ともとれる。

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Extaasiin - Ismo Alanko (1993)

14/7/2017

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この曲は、ソロ名義での2作目「Jäätyneitä lauluja」(1993)に収録されています。
弟のIlkka Alankoがバッキングボーカルで参加しています。
先日、詩集「SANAT」の紹介記事の中で、「GRANDE FINALE (ELI SUURI KUSETUS)」のシナリオも掲載されているという話を書きましたが、この曲の歌詞は、もともとはその演劇のために書かれたものだそうです。

Extaasiin   エクスタシーへ
 
ビロードの手が 私の腹部の感じやすい場所を愛撫するとき
私は自由、エクスタシーの中で ドラッグ(注1)なしに
やわらかな唇が 私の肌のリラックスした毛に沿って動くとき
私は自由、エクスタシーの中で あなたとともに
動物と人間についての醜い物語を聞き
いかに太陽が西から昇るか毎晩見てきた
今日の午後 醜さの中で 目を泳がせた
そして すべてを併せると、私は繰り返す 昔からの一文を
私は愛を信じる
 
エクスタシーへ
そこへ導く 小さな細道が 野生の雨林を通って
そこでは 愛が降る ときには過剰なほどに
エクスタシーへ
そこへ導く じっと触れ合うあたたかな肌が 
何世紀にもわたり それを知っている
エクスタシーへ、エクスタシーへ
 
大きな夢は決して実現できなかったけれど
私は自由、エクスタシーの中で 富なしに
私はすでに大地の冷たい鎖の中に葬られたけれど
私は自由、エクスタシーの中で あなたとともに
動物と人間の醜い理想像を見て
いかにペニスが空に向かって勃つか毎晩、聞いてきた
今日の午後 醜さの中で 目を泳がせた
そして すべてを併せると、私は繰り返す 昔からの一文を
私は愛を信じる
 
エクスタシーへ
そこへ導く 小さな細道が 野生の雨林を通って
そこでは 愛が降る ときには過剰なほどに
エクスタシーへ
そこへ導く じっと触れ合うあたたかな肌が 
何世紀にもわたり それを知っている
エクスタシーへ、エクスタシーへ
 

注1;原詩では「kimaltava kemia」(=きらきら光る化学)
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Muoviruusuja omenapuissa - Hassisen Kone (1980)

13/7/2017

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先日ご紹介した詩集「SANAT」の中で、「ALKUSOITTO」(前奏曲)として、一番最初に登場するのはこの曲です。
オリジナルバージョンは、1980年リリースのオムニバスアルバム「3 vuotta myöhemmin」に収録されており、Hassisen Koneの1stアルバム「Täältä tullaan Venäjä」のリマスター再発CDのボーナストラックとしても聴くことができます。
また、1982年のシングル「Hiljaa virtaa veri」のB面として、別アレンジの再録バージョン「Muoviruusuja omenapuissa III」がリリースされており、こちらは2000年リリースのベスト盤「Tarjolla tänään: Hassisen kone」で聴くことができます。
まさにHassisen Kone時代のIsmoらしさを象徴するような名曲です。


オリジナルバージョン

再録バージョン
Muoviruusuja omenapuissa   りんごの木にプラスチックのバラ
 
空っぽの人間の殻が そこに
微笑みながら まどろむ コマーシャルの沼地の中に
気持ちいい コマーシャルの庭にいるのは
すてきだ 愛へ憎しみで応えるのは
もし誰かが 目から目へ 俺を見はじめるなら
俺は 梁(注1)から梁へ 見ていい
盲目の西洋の道を
飾り立てたいばらの冠(注2)だ
お前たちは
 
りんごの木に プラスチックのバラ
子供の口に プラスチックの文
細胞に 見知らぬ遺伝子
神の庭の小作人に 偏頭痛
 
カレリアの勇敢な英雄たちは死んだ(注3)
美しい乙女たちの耳から刻んだ
邪悪な指導者たちは 灰皿を
あるものからは 飾り立てた取っ手さえ作られた(注4)
大きな深い森に もやが舞う
そこからにじみ出るのは 樹脂ではなく 西洋のざわめき
年老いた真紅の花のオラ(注5)を見ろ
彼の突き刺された目から流れるのは コカコーラ
お前たちが買う
 
りんごの木に プラスチックのバラ
子供の口に プラスチックの文
細胞に 見知らぬ遺伝子
神の庭の小作人に 偏頭痛
 
ああ 深い森の子たちよ、俺はこれをただ繰り返す
なぜなら お前たちの堕落を さんざん厄介に味わってるから
通りには 人間の殻だけが横たわる
カレリアの若い英雄たちを見ろ
アメリカは天国なのか、神はそこにいるのか?
自分の人格は 成功の道にあるのか?
田舎は涙の中へ沈んだ
なぜなら 神は都会へ引っ越したから
用心しろ
 
りんごの木に プラスチックのバラ
子供の口に プラスチックの文
細胞に 見知らぬ遺伝子
神の庭の小作人に 偏頭痛


注1;聖書の中の「なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。」という一節による。
注2;キリストは十字架にかかったとき、いばらの冠をかぶせられていた。
注3;フィンランドの民族叙事詩「カレワラ」に登場する英雄たちをさす。
注4;
フィンランド神話における、持つ者に幸福をもたらす「サンポ」の伝説との対比。「カレワラ」の中では、「サンポ」は何もない所から小麦粉と塩と金を作り出す魔法の道具とされている。
注5;Johannes Linnankoskiによるフィンランド版ドン・ファンとも呼ばれる1905年の小説「Laulu tulipunaisesta kukasta」(=真紅の花の歌)の主人公Olaviをさす。農家の息子Olaviは、父と対立して家を出て、奔放な恋愛に浸る放浪生活を送る。(やがて1人の女性と出会い、最終的にはまともな社会の一員となる。)
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Ismoの詩集

10/7/2017

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2011年に、Hassisen Kone時代から当時までのIsmoの全歌詞を掲載した詩集「SANAT」が出版されています。
巻末には、アルバム未収録曲の収録先も明記されており、資料としての価値も高いです。
また、付録として、IsmoがKirsti Kuosmanen(女優、Ismoの元妻)とともに創作し、1992年に上演された演劇「GRANDE FINALE (ELI SUURI KUSETUS)」のシナリオも収められています。
2013年には、同年リリースされたアルバム「Maailmanlopun sushibaari」の歌詞が追加収録されたソフトカバーのポケット版も出版されています。
Ismoは歌詞が本当に素晴らしいアーティストですので、ご興味のある方は是非入手して、原詩を味わってみてください。

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通称「寿司BOX」について

7/7/2017

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ソロ名義5作目のアルバム「Maailmanlopun sushibaari」がリリースされた2013年は、ちょうどIsmoのアーティスト生活331/3世紀にあたる記念すべき年であり、同年11月には「Superlajitelma」というユニークなボックスセットがリリースされました。
これは500セット限定で、最初の200セットにはナンバリング&Ismoのサイン入り、第2版の300セットにはナンバリング入りでした。
内容は以下のとおりで、スーパーなどで売っているお寿司のプラスチックケースに入っています。

1. ライヴ盤「Kolmannesvuosisata taiteilijaelämää」(2CD)
(29曲入り、少人数のファンを招待して行われたスタジオライヴ)
2. 「Maailmanlopun sushibaari」(2CD)
(ボーナストラック6曲入りアルバム + 上記のライヴ盤から17曲抜粋の2枚組スペシャルエディション)
3.デモトラック集「DEMOT」(CD)
(9曲入り、うち2曲は未発表曲)
4. 巻きずし型のUSB
(Ismoのインタビューと2013年春のツアーのタンペレとヘルシンキの公演から9曲のライヴ音源入り)
5.割りばし

このボックスでしか入手できないデモトラック集とUSBはもちろん貴重ですが、日本人としては、「おてもと」と書かれた割りばしもうれしいですね。

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